写真:柳川熊吉(函館市中央図書館所蔵)
浅草の料亭の息子として生まれ、浅草の火消しを担当した10番組「を組」の侠客・新門辰五郎の配下とも言われます。1856(安政3)年に江戸から来て請負業を営み、五稜郭築造工事の際には、労働者の供給に貢献しました。その後、箱館で江戸流柳川鍋の商売を開始。本名は野村熊吉でしたが、その味覚を賞賛する箱館奉行の堀利熙から「柳川」と呼ばれていたため、姓を柳川に変えたと言われています。刺青もなく、酒、タバコを呑まない任客でした。
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