あなたのテーマでディープな函館 「土方歳三・幕末」
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函館で五稜郭はおなじみですが、「四稜郭(しりょうかく)」もあったことをご存知でしょうか。箱館戦争の歴史を伝える史跡四稜郭は、五稜郭の後方を防御するための陣地として、北に3キロほど離れた丘陵地帯に作られました。観光のメインエリアから遠いところにあるため、タクシーやレンタカーなどで立ち寄るのが一般的ですが、路線バスと徒歩で訪れるアクセス法をご案内しましょう。また、その周辺にある箱館戦争に関する遺構も合わせて紹介します。

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明治維新前後の混乱のなか、戊辰戦争で旧幕府軍に合流した新選組の土方歳三は、1867(明治元)年10月20日ごろ(旧暦、以下同じ)に鷲ノ木(現在の森町)に上陸し、翌年5月11日に箱館市街地で銃撃を受けて倒れるまで、箱館戦争で新政府軍と戦いました。

7カ月足らずをすごした函館の地には、土方の足跡があちこちに残っています。

そんなゆかりの地を案内する、「土方歳三専門」街歩きガイドが、しらとりみちよさん。旧幕府軍の本拠地となった五稜郭と、土方が最後に進軍した松川街道を一緒に歩いてみましょう。

(五稜郭公園内、一本松にて)

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新選組の鬼の副長として恐れられ、旧幕府軍の榎本武揚らとともに1868(明治元)年、蝦夷地・箱館にやってきた土方歳三。陸軍奉行並の要職に就いて活躍したものの、翌年の旧暦5月11日(現在の暦で6月20日)、新政府軍による箱館総攻撃の日に戦死しました。

その男気から、今もたくさんの人に愛されつづけている土方歳三。そして、近代日本の夜明けに尊い血が流された、明治新政府軍と旧幕府軍、最後の戦いの地・函館。市内にはゆかりの地、供養碑、資料館などが数多くあります。

ファンのみならず、函館を訪ねたらぜひとも見て歩きたいスポットをご案内しましょう。

(五稜郭タワーアトリウムにある土方歳三ブロンズ像

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ここ函館の地は、1868年(明治元年)から翌1869年にかけて、旧幕府軍と新政府軍の最後の戦いである箱館戦争の舞台となりました。榎本武揚率いる旧幕府軍が現森町の鷲ノ木に上陸してから占拠した五稜郭を明け渡すまで、約7カ月にわたる戦いは、今もひと時代の終焉の象徴として語り継がれるものです。

現在、新政府軍の戦没者の慰霊は函館護国神社(招魂社)の例祭で、旧幕府軍戦死者の慰霊は碧血碑で行われています(函館市史より)。勝敗の決した千代岡陣屋陥落は、旧暦の5月16日。今の暦でこの日に当たる6月25日に、旧幕府軍の法要が碧血碑前で営まれます。

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津軽海峡に面する函館港は、函館山の麓から西方へ湾曲した海岸線に位置します。江戸後期に来航したアメリカのペリー提督が、船上から見た絶景に驚嘆したほどの天然の良港。鎖国を解いて開港してからは異国文化が移入し、今日の西部地区に見られる美しい町並みを形成するに至りました。港内を行き交う船舶は帆船、連絡船、北洋船団の時代を経て、イカ釣り漁船、貨物船、フェリーなどへとその姿を変えましたが、市内中心部に響き渡る汽笛の音は、港町ならではの風情を醸し出してくれています。

2009(平成21)年には、函館の歩んできた長い歴史に、開港150周年という新たなページが刻まれました。あれから1年。函館、そして日本の歴史を変える舞台となった建物が、解体から139年の時を経て、夏真っ盛りの7月29日に復元・公開されました。その名は「箱館奉行所」、正式には「箱館御役所」と呼ばれ、城郭のイメージが強い五稜郭にその姿を現しました。多くの歴史的建造物が軒を連ねる、国内有数の観光地・函館に誕生する新名所は、見物のため訪れる人々に何を語りかけてくれるのでしょうか。

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