埋立地の倉庫群
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函館古地図マップで、明治の町並みを巡る
埋立地の倉庫群
開港後の物資の流通や、船舶の修理等を目的に造成された地蔵町の築島(埋立地)は、大町に次ぐ外国人居留地とされた。一帯には三菱倉庫・常備倉などの倉庫、トムソンなど外国人経営の造船所などが建ち並んだ。また願乗川とも結ばれた堀割には、貨物の積み下ろしのために多くの小型船舶が往来した。明治20年以降堀割は順次埋め立てられて、銀座通りなどの道路となった。その後、沖合への埋め立てと岸壁の整備が進み、金森赤レンガ倉庫群に代表される、現在のベイエリアが形成されていく。
40.三菱倉庫
現在 : BAYはこだて
三菱汽船が明治15年に煉瓦積みの倉庫と事務所建屋、堀割を建設。同40年大火後に改築、その後長く日本郵船の倉庫だった。昭和63年全面リニューアルし、ショッピングモール、ビアホール、イベントホールなどを擁するBAYはこだてとして営業開始。七財橋と堀割に隣接した特徴ある外観はベイエリアの中でも目立った存在で、函館を代表する観光スポット。創建当時の煉瓦積みの一部が現在も残る。
41.常備倉
現在 : ラビスタ函館ベイ
開拓使が非常救済用の備米の倉庫として明治8年完工。当時開拓使が経営していた茂辺地(現北斗市)製造の煉瓦が使われた。同23年払下げ以降は安田倉庫として長く使用された。平成19年倉庫を解体し、高層ホテル・ラビスタ函館ベイが竣工、営業を開始した。1階の一角には安田倉庫当時の記録を展示するギャラリーがある。
42.公立病院
区内の2つめの病院として、明治11年豊川町に創立。同14年に名称を変えて公立豊川病院となり、同39年の廃止以降も私立豊川病院として存続した。
43.外国造船所(トムソン造船所)
現在 : 及能倉庫
慶応元年、英国領事館の元警備官トムソンが、ブラキストンの製材を利用した造船所を現在の豊川町で開業した。明治11年には300トンの船を建造し、市内造船所では抜きんでた存在だった。跡地には及能倉庫が建つ。
44.氷庫
現在 : ニチレイロジスティックス
明治元年以降、五稜郭の堀から採取した天然氷が本州向けに販売されていたが、その保冷・貯蔵施設として豊川町に設けられた氷室。大正末期から市内に人造製氷業が開始されたことで衰退し、昭和12年に廃業した。現在はニチレイロジスティックス(旧日本冷蔵グループ)の物流センター。
45.器械製造所
明治13年、函館屈指の財界人渡辺熊四郎らが設立。船舶用の機器などを製作、この工場が後に函館船渠(現在の函館どつく)に発展する。
46.栄国橋
現在 : 市電十字街電停
享和元(1801)年、箱館奉行が当時の地蔵町で築島(埋立地)を造成した際に、水運と貨物の積み下ろしのために堀割を設けた。堀割は旧高田屋屋敷付近まで延びていたが、その途中、現在の市電十字街電停付近に架けられたのが栄国橋(異国橋、永国橋などの異称もある)。堀割は明治21年に埋め立てられ、現在の銀座通りとなる。
47.夷橋
現在 : 銀座通り
夷橋(えびすばし)は、地蔵町の築島(埋立地)に発する堀割が願乗寺川と合流する辺りに架けられた橋。名称は近隣の町名である恵比寿(夷)町に由来。