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和の伝統建築の華、高龍寺のご案内

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111228M01.JPG函館山のふもとにたたずむ、曹洞宗のお寺・高龍寺。函館に現存する最古の寺院であり、その堂々たる山門や本堂などの姿は、訪れる人を圧倒するほどの存在感です。

2012年、高龍寺の建造物10件が、国の登録有形文化財に登録されました。歴史的な価値とともに、伝統的な木造建築の技術を結集した芸術性が評価されたものです。

雪の積もった冬のある日、箱館歴史散歩の会主宰の中尾仁彦さんといっしょに高龍寺を訪れ、第23代住職の永井正人さんにお話を伺うことができました。

函館の歴史とともにあり、文化的価値の認められた高龍寺。その見どころをご案内しましょう。

 

 

 

 


◆風格ある境内の景観全体が評価された喜び

111228M02.JPG高龍寺の正式名は、曹洞宗・国華山高龍寺。函館で最も古い寺院で、1633年(寛永10年)の創建以来、水害や大火、箱館戦争、開港などの歴史とともに生きてきました。

松前法源寺(曹洞宗永平寺派)の僧・盤室芳龍が、亀田(現JR函館駅の北のほう)に庵を建てたのが始まり。函館山麓の現在地に移転したのは1879年(明治12年)のことです。

永井住職によると、「古くから伝わる七堂伽藍様式をほぼ備えた、函館で唯一のお寺」ということ。「日常の修行の場であり、近隣の方にとっても毎日鐘の音が聞こえる『生きている寺』が、文化財として認められたことに意味があります」と、話してくださいました。

中尾さんも、「本州と比較して、函館(北海道)は歴史が浅いため、木造寺院が指定を受けることは難しいと思っていました。箱館戦争、大火といった函館の激動の歴史とともに歩んだ高龍寺だけに、指定を受けたことは率直に嬉しいこと」と、喜びを伝えました。

 

◆山門と袖塀~修行の場への入り口(1911年建立) 

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それでは、登録有形文化財の建造物を、順に見ていきましょう。
市電の「函館どつく前」電停から魚見坂を上っていくと、右手に函館湾が一望できる高台に至ります。道に面して威厳のある姿を見せているのが「山門」。歩道からも、その重厚な造りや見事な装飾を見ることができます(写真は境内から外を見たところ)。
ヒバ材を用い、前後に4本ずつの柱を立てる八脚門。東北以北で最大の山門で、獅子(左)、龍(中)、鳳凰(右)などの彫刻が豊かに配された外観が特徴です。この山門だけで、なんと207個の彫刻があるそう。これらは越後で製作され、帆船で運ばれてきました。
 
「 建築は、江戸時代の最高の技術集団・柏崎グループによるもの。5代目篠田宗吉を中心とした大工や彫師による彫刻は、高龍寺最大の見どころといえるでしょう」と中尾さん。
 
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門の左右には、桟瓦葺の袖塀を延ばしています。大火の町・函館の寺院らしく、防火への備えの一助にもなっていたのでしょう。
門を正面から眺めるだけでなく、横から、また中から見上げると、歴史の重みと高い芸術性がひしひしと感じられます。
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◆本堂~本尊の釈迦無尼仏を祀る(1899年建立)
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山門の正面に位置するのが「本堂」。雪囲いを施された姿は、この季節ならではの修行の場の厳しい寒さを想像させます。
 
1899年(明治32年)に建立され、1907年(明治40年)の大火の難をのがれて今日に至ります。四方に庇屋根を延ばした「入母屋瓦屋根」、その下に裳階(もこし)という庇屋根を正面から側面にかけて回し、二層構造の優美な姿。周囲に下屋と縁をめぐらせ、東西に回廊が付属しています。
 
建築は、越後・柏崎出身の名匠、4代目篠田宗吉を中心とした大工や彫刻師、鋳物師らで、建材を越後から運んで建てました。受処のある庫裏(くり)から廊下を通って案内された堂内は、39本の太いケヤキの柱と梁で構造を支えて作った力強い内部空間。その重厚さの中央にきらびやかな須弥壇があり、釈迦三尊が祀られています。堂内は9室あり、正面の向拝などに施された精巧な彫刻も見事です。
 
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◆開山堂(臥龍廟)~歴代住職や五百羅漢などを祀る(1899年建立)
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本堂に向かって左手に位置し、中央部がカーブを描いた唐破風屋根の玄関、白壁の煉瓦造漆喰壁で、ひときわ目立つのが開山堂。本堂と同じ頃に建てられ、現存する建造物ではもっとも古いものですが、平成15年の改修で外観が新しくなりました。
 
堂内には、歴代の住職をはじめ、33観音、500羅漢、16羅漢、釈迦十大弟子などが祀られ、荘厳な雰囲気に満ちています。改修時に漆貼りされた天井絵も見事。
 
中央に祀られているのは、高龍寺を開いた盤室芳龍大和尚、曹洞宗の開祖で永平寺を建立した道元禅師、曹洞宗のもうひとつの本山である総持寺開祖の螢山禅師です。
 
 
 
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◆位牌堂~先祖の位牌を永代に祀る(1933年建立)◆金毘羅堂~航海安全・漁業の神を祀る(1915年建立)
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開山堂の左には、位牌堂、金毘羅堂。位牌堂の入母屋瓦葺は本堂の小型版で、全体的に雰囲気もよく似ています。
金毘羅堂は魚神を奉るもので、地元に密着した神仏習合の象徴。北洋漁業が盛んな時期に作られました。
 
◆水盤舎~参詣者が手や口を清める(1917年建立)
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山門を入って左脇には、参詣者が手や口を漱ぎ清めるための水盤舎。こちらも風格のある屋根の形が印象的です。
龍の水口、足元を支える力人も見もの。
 
◆鐘楼~朝夕、鐘の音が響く(1922年建立)  ◆宝蔵~寺宝を収蔵(1916年建立)
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山門の右手に並び建つのは、鐘楼と宝蔵。戦争で供出された鐘は、1951年(昭和29年)に再鋳されました。
宝蔵は、レンガ造りの入り口、白い漆喰壁、腰周りにはめ込み下見板をまわした蔵造りという外観がユニーク。
旧函館区公会堂建築時の寄付など函館の発展に尽くした豪商、大檀家の相馬哲平氏の寄付により作られました。
北海道有形文化財指定の蠣崎波響筆「釈迦涅槃図」などが収蔵されています。
 
◆土塀・防火塀~寺を囲む趣のある塀。特に重厚なレンガ塀は大火の歴史の象徴(1910年建立、一部はそれ以前のものか)
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山門脇の袖塀に続いて、土塀、レンガ塀が寺の周囲に巡らされています。
 
特に見どころは、坂の下方(東面)と上方(北面奥)に設けられたレンガ造りの防火塀。度重なる大火の歴史から、厚さ60センチにもなる重厚なレンガ塀で延焼を防止しました。1910年(明治43年)の建築とされていますが、上方の塀には明治40年の大火の跡らしい焼け焦げがあり(下左)、それ以前(明治10年代?)に造られたものと思われます。
 
レンガの積み方の違いにも注目で、上方のものはフランス積み(写真左。横一列に小口と長手が交互に並んで見える)、下方のものはイギリス積み(右。一列ごとに小口のみ、長手のみ......と交互に積む)。一般に、フランス積みのほうが時代が古いと言われています。
 
 
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改めて高龍寺を訪ねての中尾さんの感想は、「明治から昭和初期の函館繁栄の象徴であり、国の文化財にふさわしい風格ある境内景観ですね。さらに、大火の町・函館の寺院らしく、袖塀・防火塀など防火への備えが評価されたことは、意義あること」。
 
住職からは、「例年、4月には釈迦涅槃図の公開、10月にも宝物展を開きます。敷居が高いと思われがちですが、昔から地域に根づいた寺院なので、建物を見るだけでも気軽に訪ねていただきたい」との言葉。函館の旅の楽しみのひとつに加えてみてはいかがでしょう。
 
原稿協力/中尾仁彦 
22012/1/7公開
 
高龍寺 函館市船見町21-11 0138-23-0631
開門 9時~16時 境内見学自由
拝観希望者は受処へ
(ただし、寺の行事などで拝観できない場合もあります)
  境内の見取り図(クリックすると拡大されます)
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