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土方歳三と箱館戦争、激戦の歴史を訪ねる

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新選組の「鬼の副長」として恐れられ、旧幕府軍の榎本武揚らとともに1868(明治元)年、箱館(現在の函館)にやってきた土方歳三。陸軍奉行並の要職に就いて箱館戦争で活躍したものの、翌年の旧暦5月11日(現在の暦で6月20日)、新政府軍による箱館総攻撃が始まった日に戦死しました。
その男気から、今もたくさんの人に愛されつづける土方歳三。そして、近代日本の夜明けに尊い血が流された、明治新政府軍と旧幕府軍による戊辰(ぼしん)戦争の、最後の戦いの地・函館。市内にはゆかりの地、供養碑、資料館などが数多くあります。土方ファンのみならず、函館を訪ねたらぜひとも見て歩きたい、箱館戦争関連スポットをご案内しましょう。
(五稜郭タワーアトリウムにある土方歳三ブロンズ像
 
◆メインの舞台は、旧幕府軍の蝦夷地領有の宣言地・五稜郭 
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五稜郭は、元は徳川幕府が箱館開港に伴う防備強化のために築造、1864(元治元)年に完成した国内初の本格的な西洋式城郭です。現在は特別史跡五稜郭跡として、市民の憩いの公園に。隣接する五稜郭タワーから、堀に囲まれた美しい星形が一望できます。
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1868(明治元)年10月20日(新暦で12月3日)、榎本武揚ら旧幕府軍は厳寒の鷲ノ木(現在の森町)に上陸し、五稜郭で蝦夷地(北海道)領有を宣言するも、新政府軍の反撃に屈し、翌年5月に明け渡しました。毎年5月中旬には、この戦いで散った志士たちをしのび、箱館五稜郭祭が開催されます。碑前供養や、土方歳三コンテスト全国大会のほか、ペリーの箱館来航から箱館戦争終結までを題材に、総勢約1000人が当時の衣装を身にまとって街を練り歩く維新パレードが行われます。
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箱館戦争が始まって150年となる2018年、旧幕府軍が五稜郭に無血入城した旧暦10月26日(現在の暦で12月9日)に、「旧幕府軍五稜郭無血入城150周年記念企画」のパレードが行われました。2019年4月20日~10月27日には、戊辰戦争(箱館戦争)終結150周年記念の催し物も行われました。
  
【五稜郭とその近辺、箱館戦争関連の見どころ】
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旧幕府軍の拠点であった箱館奉行所(復元)。歴史解説コーナーもあり
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箱館奉行所の向かい、箱館戦争で使われた大砲
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五稜郭内の土塁内側にある「土饅頭」。松の木の根元に旧幕府軍兵士が葬られたとされる
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五稜郭タワーのチケット売場には、錦絵「戊辰五月東軍之諸将 於五稜郭酒宴之図」の図柄が。敗戦を覚悟しての酒宴の様子
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五稜郭タワー展望台にある土方の座像
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同じく五稜郭タワー展望台の五稜郭歴史回廊。箱館戦争などの歴史がわかる展示が充実
 
◆函館は土方歳三が最期を遂げた地
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JR函館駅から徒歩10分、土方歳三が戦死したといわれる一本木関門跡に近い若松緑地公園(函館市総合福祉センター前)の片隅に、土方歳三最期の地碑があります。
1869(明治2)年5月11日(新暦で6月20日)、箱館を包囲した新政府軍が総攻撃を開始。これを知った土方歳三は、約50名の兵を率いて本拠地・五稜郭を出陣。一 本木関門をすぎて、箱館市中に向かって敢然と切り込んでいきましたが、新政府軍の銃弾に倒れて戦死。波乱に満ちた生涯を閉じました。
戦死した場所については、ほかに鶴岡町(現在の大手町付近)や、栄国橋(異国橋。現在の十字街付近)など諸説ありますが、一本木関門近くのこちらは、土方歳三ゆかりの地として、全国の土方ファンが手向ける花が絶えず供えられています。
 
◆お宝のある関連資料館
土方歳三凾館記念館(土方・啄木浪漫館)
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津軽海峡が見渡せる大森浜沿いには、土方歳三凾館記念館があります。入口でまず目に入るのが、土方歳三最期の地「一本木関門」を再現したもの。一歩入ると幕末の世界にタイムスリップし、波乱に満ちた土方歳三の生涯を時代とともに体感することができます。
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館内は大きく3つの部屋に分かれ、膨大な幕末の資料が展示されています。展示室には、箱館戦争の史実を知る最も貴重な資料である「麦叢録付図」、短銃、土方の謎の掛軸、土方が捜し求めていた古刀和泉守兼定「之定」の長刀と短刀などがあり、戦いに対する熱い思いが伝わってきます。
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函館出身の彫刻家による土方歳三像がお出迎え。
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土方の肖像写真に写っている「リボルバー拳銃」も展示。
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愛用の刀と同じタイプのもの。長刀は「会津十一代和泉守兼定」作、脇差は「一条堀川住藤原国廣」作。
 
市立函館博物館
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函館公園内の総合博物館。自然科学から考古学、歴史、民俗などに関する資料のほか、博物館五稜郭分館の閉館にともなって移設された、箱館戦争関係資料も充実しています。
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幕末~明治の激動期に起こった戊辰戦争の最後の戦いである箱館戦争について、旧幕府軍の箱館進攻、新政府軍の箱館総攻撃などに関する資料、絵図、錦絵、書簡などを収蔵・展示。そのほか、土方歳三の肖像写真パネルや、戦争時に実際に使われた武器、新政府軍の士官が着用したとされる陣羽織などもあります。これらの展示品を間近で見ていると、函館で国の未来をかけての攻防戦がなされていたことについて驚かされます。
※展示状況はその時々で変わり、ここに掲載したものと異なる場合があります
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函館で撮影された土方歳三の写真のパネルと、近藤勇、土方歳三、山口二郎(斎藤一)など、隊士たちの姿を生き生きと描写した「中島登(なかじまのぼり)戦友姿絵」。
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戦争の場面を描いた錦絵や、市内で発掘された砲弾も展示。
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戦争時に使われていたゲベール銃、ミニエー銃、火縄銃と五稜郭出土の銃弾。
 
◆旧幕府軍志士たちの供養の地を訪ねるなら
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碧血碑
旧幕府軍の戦死者の慰霊碑。市電谷地頭電停から徒歩15分、緑深いところにあります。「碧血碑(へっけつひ)」の名の由来は、「義に殉じて流した武人の血は、三年たつと碧色になる」という中国の故事の一節。主君である徳川家に忠義を誓い、蝦夷地での生き残りを目指した旧幕府軍兵士たちは、戦争終結後「賊軍」との汚名を受けて、弔われないままおかれました。それを、料亭を営む侠客・柳川熊吉が収容して、市内の実行寺などに埋葬。1875(明治8)年にこの地に慰霊碑が建てられ、土方歳三をはじめとする約800人の兵士の霊が祀られました。毎年6月25日(旧暦5月16日)に、碧血碑慰霊祭が行われます。
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市電「函館どつく前」電停から徒歩8分の寺。土方歳三と新選組隊士の供養碑があります。1644年創建、1881(明治14)年に現在地に移った称名寺には、箱館戦争時には新選組残党の屯所が置かれていました。箱館戦争後、土方の死を悼んで供養碑が建てられたといわれています。その後、明治期に3度の大火に見舞われ、当時建てられた碑は現存していません。現在境内にある供養碑は、1972(昭和47)年、有志により建立されたものです。この供養碑には新選組隊士4名の名前も刻まれていて、花を供えるファンの方も多くいます。
 
◆そのほか、箱館戦争ゆかりの地 

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咬菜園跡

箱館戦争終盤、旧幕府軍総裁の榎本武揚と幹部6人で最後の清遊を試みた、函館山麓の名園跡

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新撰組屯所跡地
現在の函館元町ホテル付近、当時の称名寺内にあった、箱館警備の任に就いた新選組の屯所跡地
 
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中島三郎助父子最後之地
千代ヶ岡陣屋で戦死した中島三郎助とその息子たちを慰霊した石碑
 
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弁天台場跡
箱館港の防衛拠点として造られた砲台跡。旧幕府軍が陣取ったが、1869年5月15日に降伏
 
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史跡四稜郭
箱館戦争時、旧幕府軍が五稜郭の北方約3kmの高台に築いた西洋式の土塁跡
 
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二股口古戦場跡(北斗市)
箱館戦争時、旧幕府軍の土方歳三率いる兵が新政府軍を迎え撃った激戦の地
 
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1868年10月20日、旧幕府軍2500~3000人が上陸した地点。ここを拠点に箱館への進軍を開始
 
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箱館を目指す途中、江差で座礁した旧幕府軍の軍艦・開陽丸の復元記念館
 
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旧幕府軍が五稜郭と四稜郭との間の拠点として、函館東照宮に砲台を設けた場所
 
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旧幕府軍が降伏を誓約した場所とされている。建物の羽目板には戦闘の弾痕が残存
 
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新政府軍兵士によって、旧幕府軍の傷兵が斬殺された惨劇を悼み、傷心惨目の碑を建立
 
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旧幕府軍総裁・榎本武揚の功績を称え、ゆかりの梁川公園内に建立された銅像
 
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箱館戦争で殉難した新政府軍兵士を祀る招魂社として創建。新政府軍墓地などがある
 
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箱館戦争で被弾沈没した新政府軍の軍艦「朝陽」の戦死者を祀る大きな石碑
 
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1869年4月9日、新政府軍約1400人が上陸した地点。その後、厚沢部と松前方面に進撃
 
◆新選組関連グッズが買えるスポット 
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©五稜郭タワー
 
 
編集協力/市立函館博物館 
2013/5/23公開
 
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