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箱館はじめて物語

官立初の気象観測の地

かんりつはつのきしょうかんそくのち


明治5(1872)年、現在の金森倉庫の場所に日本最初の官立気象台「函館気候測量所」が創設された。創設者の福士成豊は、箱館丸を建造した続豊治の息子。

官立として初めて気象台ができたのは、意外にも函館である。創設者は福士成豊。箱館丸を建造した続豊治(つづきとよじ)の息子である。 

明治5(1872)年、福士はイギリス商人のブラキストンより気象器具を譲り受け、現在の金森倉庫の場所に日本最初の官立気象台「函館気候測量所」を創設した。ブラキストンはこれ以前から気象観測を行っており、個人レベルの気象観測のはじまりは不明であるが官立としてはこれが最初である。函館に遅れること3年の明治8(1875)年、東京気象台が開設された。

福士はこの他にも様々な功績を残している。日本初の西洋帆船の箱館丸の建造に協力した一人であり、その後イギリス人経営の商会に勤務して英語を学び、北海道で最初に英語の辞書を作った。その辞書に記されている函館は、「HAKODADI」となまりがある。

 また彼は、同志社大学の創設者である新島襄(にいじまじょう)が、函館から海外渡航する際に手伝ったことでも有名である。元治元(1864)年、日本には欧米の先進文化が必要と考えた新島は、国禁を犯して函館から渡米することを計画する。福士は彼を小舟の底に隠し、当時停泊中だったアメリカ船まで乗せていった。小舟はその途中で見つかってしまうが、以前から外国の商会等とつながりがあった彼がを咎める者はいなかった。こうして新島は渡米に成功し、後にアメリカの様々な文化を日本にもたらすこととなった。


※オフィスO 2011/7/7取材 2011/7/22公開


エリア 駅前・元町地区
問合せ先 函館市観光コンベンション部
所在地 函館市豊川町11-15
電話番号 0138-21-3323
アクセス 【市電】「十字街」電停 徒歩6分
駐車場
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