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6)願乗寺川の周辺

願乗寺(現在の本願寺函館別院)の僧・堀川乗経が、安政4年に開削した願乗寺川は、当時函館港内に注いでいた亀田川を、現在の鍛冶橋付近で分流させた長さ約4キロに及ぶ人工水路だった。当時生活用水の不足していた函館山のふもとの市街地の発展に、大きな貢献があった。明治22年の水道開設に伴って水路は埋め立てられ、現在の高砂通りとなった。水道の普及は、当時はまだ人家もまばらであった東部方面への市街地の拡大を促進することになる。

明治時代 現在

女紅場

48女紅場 (旧高田屋屋敷)
現在:高田屋屋敷跡の碑

元は豪商・高田屋嘉兵衛の屋敷があった場所に、明治11年、女子教育(実際は娼妓の教育)の目的で女紅場(じょこうば)を設立。隣接して蓬莱町遊郭があった。同20年に廃止、その後はビアホールなどになったが、同40年大火で焼失。跡地は、銀座通りと護国神社坂を下りきったグリーンベルトと交わるあたりで、現在は「高田屋屋敷跡」の碑が建つ。

蓬莱貸座敷

49蓬莱貸座敷

明治6年、台町とともに、蓬莱町に貸座敷営業が認められた。同15年頃には座敷数も40軒と隆盛を極め、「蓬莱町の繁華は芳原(吉原)に比す」ともいわれた。同16年には新たに台町周辺の天神町と駒止町が追加、さらに温泉地の谷地頭も営業地として追加されている。

東照宮

50東照宮
現在:介護老人保健施設ゆとりろ

徳川家康を祀る神社。寛政年間、幕府が東蝦夷地の直轄を機に、日高・様似に社殿を造営したのに始まる。五稜郭の築造に当たり、その鬼門(東北)の守護として元治2(1865)年上山村(後の神山町)に移転。明治2年の箱館戦争で社殿を焼失。同12年蓬莱町に移転。同24年、本殿・拝殿落成。平成3年に元の鎮座地に近い陣川町に再度移転、同時に社名を北海道東照宮に改称した。跡地は現在介護老人保健施設ゆとりろが建つ。

監獄署

51監獄署 (第一支署)
現在:常住寺

明治5年、春日町に獄舎(当時は監獄署と称した)が設置された。明治7年、プロシア領事ハーバーを殺害した犯人がここで斬罪されている。同12年からは監獄署の支所となり、同18年に千代台に移転、跡地には現在、日蓮宗・常住寺が建つ。

芝居

52芝居 (池田座)

池田座は明治16年、当時の宝町で落成、開業した。市民の娯楽の場としての各種興業は、江戸時代の中頃から山ノ上町付近で始まっていたが、明治以降、東川町や蓬莱町周辺に芝居小屋、寄席が設置されるようになり、明治28年には「新蔵前」の名称で東川町が「興行認可地」とされ、盛り場として繁盛した。明治後期には池田座、大和座など、6カ所の寄席、劇場が数えられている。明治40年、大正10年の大火で多くが罹災し、大門付近への移転が進む。

宝学校

53宝学校
現在:函館市女性センター

明治11年公立寶学校開校。同12年の大火で住吉学校と寶学校以外の小学校が被災、340名の大規模学校となった。同14年の第1回区会選挙の投票所など、多くの行事の会場にも活用された。昭和9年の大火で焼失し、第2東川小学校とともに新設の東川小学校に合併された。跡地には現在函館市女性センターが建ち、敷地内には記念碑が建つ。

西本願寺

54西本願寺 (願乗寺)
現在:本願寺函館別院(西本願寺)

堀川乗経が万延元(1860)年、真宗本願寺派の願乗寺を創立。後に本願寺函館別院(西本願寺)(西本願寺)に改称し現在に至る。乗経は亀田川から函館山のふもとへの人工水路の開削でも有名。明治40年の大火後に建てられた煉瓦建築は、昭和9年大火で焼失した。平成25年、その当時の建物を模した新本堂が落成した。

監獄署

55監獄署
現在:函館市消防本部

明治6年から18年まで、東川町に刑務所(当時は監獄署)が設けられた。北側は願乗寺川に面し、所内には囚徒学校や授産所(製革所)も設けられた。同11年に180人だった囚人が同18年には500人に急増、手狭となったため千代台に移転した。跡地には大正4年に消防団の本部庁舎が新築、昭和9年大火後に建て替えられ、現在は消防本部。

マッチ製造所

56マッチ製造所

明治12年、監獄署に服役していた囚人玉林治右衛門の発案で、監獄署の隣接地に燧木(マッチ)製造所が開業した。製造所は3600坪の敷地で、工場、事務所、製薬場等が建っていた。同14年、事業不振で廃業。