スポット・体験

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  • ※函新撮影※坂本龍馬像.jpg
    元町・函館山

    坂本龍馬像

    2009年11月15日に函館市末広町の北海道坂本龍馬記念館向かいに設置。2022年10月に津軽海峡を眺めることができる現在地へ移設されました。

    景色(市内)
    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※中島三郎助父子最後之地.jpg
    五稜郭

    中島三郎助父子最後之地

    箱館戦争時、五稜郭の前線基地であった「千代ヶ岡陣屋」で戦死した中島三郎助とその息子らを慰霊した石碑。毎年5月の箱館五稜郭祭では碑前祭が行われる。

    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※裏門橋.jpg
    五稜郭

    裏門橋

    五稜郭に奉行所があったころは、橋の付近に役宅が建ち並んでいたことがわかるパネルがあります。箱館戦争の折には、土方歳三が箱館に来て最初にここから入場したと言われています。

    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※新撰組屯所跡地(旧称名寺).JPG
    ベイエリア

    新撰組屯所跡地(旧称名寺)

    弥生小学校や函館元町ホテル近辺にある土方歳三ゆかりの地。箱館戦争時にこのあたりにあった称名寺に、土方の市中取締就任に伴って箱館警備の任に就いた新撰組の屯所があった。

    史跡・碑(市内)
    街歩き
  • ※函新撮影※旧官修墳墓(新政府軍墓地).jpg
    元町・函館山

    旧官修墳墓(新政府軍墓地)

    広大な境内には、箱館戦争の戦没者を葬る旧官修墳墓(新政府軍墓地)をはじめ、北海道南部の戦没者を祀る碑があります。また、高田屋嘉兵衛の慈善事業の象徴である「亀石」を二つに分断した「招魂場碑」も見どころ。

    史跡・碑(市内)
    銅像・記念物
  • ※函新撮影※函館護国神社.jpg
    元町・函館山

    函館護国神社(亀石)

    箱館戦争で殉難した政府軍兵士を祀る招魂社として創建され、のちに函館護國神社と改称。箱館戦争から太平洋戦争に至る北海道南部の戦没者を祀っている。 広大な境内には、高田屋嘉兵衛の慈善事業の象徴である「亀石」を二つに分断して造った「招魂場碑」があります。この巨石は、飢饉の際の住民救済のため、給金を支払って海中から引き揚げさせ、屋敷の庭石にしたものです。

    史跡・碑(市内)
  • ※函館の画像ライブラリー※Foreigners_Cemetery-1.jpg
    元町・函館山

    外国人墓地

    1854(安政元)年のペリー来航時に亡くなった2人の水兵を葬ったことに始まる外国人墓地は、海に面した景勝ポイントにある。プロテスタント墓地、ロシア人墓地などがある。

    景色(市内)
    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※北海道第一歩の地碑01.jpg
    ベイエリア

    北海道第一歩の地碑

    明治以降北海道の玄関口となった函館の上陸地が東浜桟橋(旧桟橋)。ここに開道100年を記念して1968(昭和43)年に建立された記念碑。ヒグマと船のいかりがモチーフ。

    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※石川啄木一族の墓.jpg
    元町・函館山

    石川啄木一族の墓

    函館山南端の立待岬近く、石川啄木一族の8人が眠る墓。故人の遺志により、遺骨は病死した東京から函館に運ばれ、函館滞在中に愛していた大森浜を望む場所に葬られた。

    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※武田斐三郎.JPG
    五稜郭

    武田斐三郎先生顕彰碑

    二の橋を渡って郭内に入り、藤棚の下を通って左に曲がると「武田斐三郎先生顕彰碑」があります。武田斐三郎とは蘭学者で、五稜郭を設計監督、築造した人物。顏の部分が輝いているのは、「頭のよさにあやかりたい」と、多くの人になでられてきたからです。

    史跡・碑(市内)
    銅像・記念物
  • ※函新撮影※傷心惨目の碑.JPG
    元町・函館山

    傷心惨目の碑

    箱館戦争当時、旧幕府軍の野戦病院が設けられていた高龍寺に新政府軍が乱入し、傷病兵らを斬殺する事件が起きた。旧会津藩有志が建立した供養碑が現在の境内にある。

    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※碧血碑.jpg
    元町・函館山

    碧血碑

    箱館戦争での旧幕府軍の戦没者(約800名)を供養するために、函館山のふもとに建立。碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」との中国故事による。

    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※すりばち山.JPG
    元町・函館山

    すりばち山

    公園正面口の右手には、映画のロケにも使われた「すりばち山」の展望所があります。手前には公園の噴水広場が、ミニ遊園地の向こうには津軽海峡が見渡せます

    史跡・碑(市内)
    公園
  • ※函新撮影※石川啄木歌碑.JPG
    元町・函館山

    石川啄木歌碑

    明治40年に函館に渡航し、家族を呼び寄せて落ち着いた青柳町の旧居跡にも近い函館公園内に建つ歌碑。有名な「函館の青柳町こそかなしけれ」の歌が刻まれている。

    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※箱館戦争の大砲1.JPG
    五稜郭

    箱館戦争の大砲

    顕彰碑の脇道を歩くと2つの大砲があります。こちらは、旧幕府軍と新政府軍がそれぞれ使用していたもので、海中に沈められていたのが引き上げられ、現在の場所に置かれています。

    史跡・碑(市内)
    銅像・記念物
  • ※函新撮影※土方歳三最期の地碑 引き.JPG
    函館駅前・大門

    土方歳三最期の地碑

    箱館戦争の末期、土方歳三が銃弾に倒れたとされる一本木関門跡に近い若松緑地公園に建つ。全国の土方ファンの手向ける花が絶えない。

    史跡・碑(市内)
  • ※函新撮影※亀井勝一郎文学碑.JPG
    元町・函館山

    亀井勝一郎文学碑

    「大和古寺風物誌」などで著名な文芸評論家・亀井勝一郎は、1907(明治40)年函館生まれ。終生函館を愛したという。散策路とされる函館公園通りに、文学碑が建立された。

    史跡・碑(市内)
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    戸井、恵山、椴法華、南茅部

    史跡垣ノ島遺跡

    函館市中心部から約30kmの南茅部エリアにある、縄文早期前半から後期後半にかけての遺跡。竪穴建物跡や盛り土遺構などからなり、2021年7月28日に一般公開開始。

    史跡・碑(市内)
    ガイド・観光案内
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    五稜郭

    半月堡

    正面広場に戻ってひとつめの橋(一の橋)を渡ると、そこは半月堡(はんげつほ)と呼ばれる出塁。五稜郭設計当初は、五角形の各辺に造られる予定でしたが、最終的には、ここの1つだけになりました。近くには貸しボート店があり、ボートから見る五稜郭もおすすめです。

    史跡・碑(市内)
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    五稜郭

    土塁

    奉行所のほうへ戻る途中、右手に土塁へ上る階段があります。土塁の上を歩きながら周囲の堀や奉行所を見渡して、五稜郭の造りを実感してみましょう。なお、郭内の松の木は築造当時に、内外の桜の木は、古いものは大正時代に植えられました。

    史跡・碑(市内)
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    五稜郭

    土饅頭

    二の橋から郭内に入り、五稜郭を設計監督・築造した「武田斐三郎先生顕彰碑」の奥左手、土塁の内側にある「土饅頭」。こんもりと土が盛られた上に、松の木が生えていますが、ここに箱館戦争で亡くなった旧幕府軍兵士の一部が葬られたとされています。

    史跡・碑(市内)
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    元町・函館山

    遺愛女学校跡

    函館ハリストス正教会の隣で、今の元町・遺愛幼稚園の場所。1887(明治20)年、八重夫人とともに来函した際に、宣教師から食事に誘われて訪れています。現在の建物は、1913(大正2)年に建築されたものです。

    史跡・碑(市内)
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    元町・函館山

    函館山の砲台跡(旧函館要塞)

    函館山山頂上付近などに残る砲台跡(函館要塞)は1902(明治35)年津軽海峡の守備を目的に築造。全山が長く立ち入り禁止だったが戦後開放。北海道遺産に指定。

    景色(市内)
    歴史的建造物(一般入場可)
    史跡・碑(市内)
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    戸井、恵山、椴法華、南茅部

    史跡大船遺跡

    函館市中心部から約30kmの南茅部エリアで1984年に確認された、縄文時代中期の大規模な集落跡。国の史跡に指定。大型竪穴建物跡は深さ2m、直径10mを超える。4~10月は定時解説あり。

    史跡・碑(市内)

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