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第41回箱館五稜郭祭1日目 碑前祭
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毎年5月中旬に行われる箱館五稜郭祭の初日は、中島三郎助父子最後の地碑を起点に、箱館戦争で命を落とした志士達の霊を弔う碑前祭から始まる。五稜郭タワーから中島三郎助父子最後の地碑までは、函館山へ向けて高砂通という道を歩いていく。約1.2km。

中島三郎助は浦賀奉行配下の役人であったが、安政2(1855)年に幕府が創設した長崎海軍伝習所の第一期生となり、3年後には軍艦操練所教授方となった。維新後、明治元(1868)年10月、彼は榎本武揚と行動を共にし、軍艦8隻を率いて北海道に来た。

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箱館戦争では、五稜郭の前線基地であった千代ケ岡陣屋の隊長として、浦賀時代の仲間とともに守備についた。新政府軍は降伏勧告をしたが、中島はそれを謝絶して戦い続け、長男恒太郎、次男英次郎とともに明治2年5月16日の千代ヶ岡陣屋の陥落と共にその生涯を閉じた。昭和6(1931)年に、千代ケ岡陣屋のあったゆかりの地が中島町と名付けられた。

中島三郎助父子最後の地碑での式典・焼香の後、旧幕府脱走軍と新政府軍に扮した維新行列の一行は碧血碑へと向かう。

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碧血碑は、普段はしんと静まりかえっている。5月中旬、箱館戦争の終結を告げる時節に、今年も新緑の木々をぬって、進軍の太鼓を鳴らした隊列がのぼってくる。

箱館五稜郭祭の実行委員会のメンバーが扮する、旧幕府脱走軍総裁榎本武揚、新政府軍陸軍参謀黒田清隆が相並んで献花を捧げ、祭文を読み上げる。一般参列者も献花に参加できるので、幕末の歴史に思いある方は、是非一度この日を選んで函館におこしいただければ、その思いが届くのではないか。黙祷のうちに弔砲が鳴り響く。

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新政府軍と旧幕府脱走軍の戦死者の霊を弔った維新行列一行は、いよいよ一本木関門に向かった。土方歳三が最期を遂げたとされる場所である。土方歳三最後の地碑のある総合福祉センターの前庭は、鳥のさえずり声の聞こえるのどかな庭園風の場所となっており、ここで待ち構えているファン達の間にはどこかくつろいだ雰囲気を感じる。


箱館五稜郭祭の実行委員会のメンバーが扮する、旧幕府脱走軍総裁榎本武揚、新政府軍陸軍参謀黒田清隆が相並んで献花を捧げ、祭文を読み上げ、黙祷・弔砲という式典の流れは変わらない。主演者一同は皆、真剣な面持ちである。碑前祭としては、いわばここがクライマックスだ。ただ土方歳三ファンの女性陣が扇状に展開して、記念写真を撮る様子が見られ、至って平和なムード。一連の流れで見ると、これもなかなか晴れやかな情景だ。続いて維新行列の一行は、箱館戦争供養塔へ。

 

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hk00092X07.jpg碑前祭のフィナーレは箱館戦争供養塔にて終わる。碧血碑から土方歳三最期之地を経て、五稜郭へと還ってくる。五稜郭タワーのアトリウムから公園に出る出口のところに、ひっそりとその塔は佇む。大勢の観光客が行き交い、この場所は賑やかだ。進軍の太鼓を鳴らしながら、維新行列一行が到着すると、興味津々で人々の足が止まる。翌日のパレードではこの行列が何十倍の規模にも膨れあがる。碑前祭のフィナーレは、五稜郭祭全体の中でイントロのような意味合いを重ねているように思える。これまで同様、箱館五稜郭祭の実行委員会のメンバーが扮する、旧幕府脱走軍総裁榎本武揚、新政府軍陸軍参謀黒田清隆が相並んで献花を捧げ、祭文を読み上げ、黙祷・弔砲という式典の手順を踏む。


一式の式典が終わり、ようやく主演者達の表情も和やかだ。各構成団体ごとにばらばらに解散し、旅行者と一緒に記念撮影を撮っている人達もいる。続いて、土方歳三コンテストを楽しもう。


※hakobura 2010/5/15取材

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