弁天台場跡

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箱館港の防衛拠点として1863(文久3)年に完成した不等辺六角形の砲台。箱館戦争時、旧幕府軍が陣取ったが、1869(明治2)年旧暦5月15日に降伏。後の港湾改良工事で解体。

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江戸幕府が、箱館湾口の防備のために、1856(安政3)年から約8年をかけて築造した不等辺六角形の軍事要塞が弁天台場です。設計は、日本初の西洋式城郭となった五稜郭と同じ、蘭学者の武田斐三郎。五稜郭に先駆けて着工し、五稜郭の前年の1863(文久3)年に完成しました。周囲約684メートル、面積約32340平方メートルで、五稜郭の1/6ほどの大きさでしたが、高さ約11メートルの石垣を備えた土塁で囲まれ、東南端にはトンネル式通路のアーチ型入口を構えていました。下田沖で遭難したロシアの軍艦ディアナ号の大砲が江戸幕府に献上され、その一部が配備されたといわれています。

箱館戦争時、新選組が中心となった旧幕府軍が陣取っていましたが、新政府軍の攻撃を受けて1869(明治2)年旧暦5月15日に降伏。弁天台場は箱館戦争の舞台のひとつとして、記憶されています。

箱館戦争の後、台場は弁天砲台として陸軍省の管理となりましたが、その後は1896(明治29)年の港湾改良工事で解体され、石材の一部は函館漁港の石積防波堤に転用され、現在も残っています。跡地は現在、函館どつくの敷地となっていて、市電「函館どつく前」電停近くの職員用駐輪場の奥に、跡を示す碑が建てられています。なお、「弁天岬台場跡」の説明版と新選組最後の地碑は、市電「函館どつく前」電停近くの児童公園にありますが、実際の場所はこちらになります。

古写真:函館市中央図書館所蔵

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詳細情報

住所 函館市弁天町20
アクセス情報

市電 「函館どつく前」電停 下車 徒歩2分

問合せ先 函館市観光案内所
電話番号 0138-23-5440
駐車場

周辺に有料駐車場あり

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