旧百十三銀行本店(SEC電算センタービル)
末広町の電車通りを歩き、八幡坂にさしかかる角に凛と構えている建物があります。この建物を見て、「30年前に建てられたものですよ」と誰かに嘘を教えられたとしても、疑うこともなく信じてしまうほどの完成されたデザイン。それもそのはず、この建物は新築された1926(大正15)年当時の函館の経済・建築の力を結集した、象徴的なものだからなのです。
元々は国法銀行の初めての地場銀行として、1879(明治12)年に開業した第百十三国立銀行。1897(明治30)年に百十三銀行と改称。経営者変更や地場他行との合併などを経て現在の地に建てられた時には、頭取に小熊幸一郎氏(日魯漁業株式会社誕生の要人の一人であり、露領漁業の立役者)、副頭取に2代目相馬哲平氏(初代は函館屈指の豪商。旧函館区公会堂建築資金のほとんどを寄付したことで有名)が就任していました。
設計者は、函館に数々の名建築を残した建築士・関根要太郎、施工は日本初のコンクリート寺院・東本願寺函館別院や東京銀座にある松屋銀座デパートを造った木田保造(木田組)が担当しています。まさに当時の函館が持っている「力」と「思い」を、ここに表現したものといえるでしょう。
建物は当時のドイツ建築様式を巧みに取り入れたもので、玄関周りの意匠、軒の三角形の連続、よく見ると楕円形になっている円柱、玄関上部の半円形の小窓のような装飾など、豪快で貫禄がある全体像とは対照的に、細部に独特の繊細なデザインを用いています。竣工当時は市内在住の建築士から酷評されたこともあったようですが、斬新すぎると反動的に批判が起きるという図式が当てはまるほど、当時の市民は驚きの目で見ていたのではないかと想像されます。
しかし、竣工直後に起きた金融恐慌により、銀行の再編が進み、わずか2年足らずで北海道銀行(現在の同名の銀行とは異なる)に吸収され、その後合併で北海道拓殖銀行となるなど、建築当時の地元の強い思いとは裏腹な現実が待っていました。
現在は地元のコンピュータ会社の所有となっていますが、時代の流れにも微動だにしない存在感と、見るものを惹きつける魅力は、「完成された美は時代を超越する」という陳腐な言葉しか思い浮かばないほどの説得力を持っています。この周辺には多くの旧銀行の建物がありますが、その中でも独特の異彩を放っているのが本建物です。
参考資料/関根要太郎研究室@はこだて
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市電から徒歩5分以内
詳細情報
住所 | 函館市末広町18-16 |
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アクセス情報 |
市電 「末広町」電停 下車 徒歩1分 |
問合せ先 | 函館市観光案内所 |
電話番号 | 0138-23-5440 |
利用時間 |
外観のみ見学可 |
駐車場 |
周辺に有料駐車場あり |