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函館の歴史的建造物(2)ヨーロッパテイストのシックな洋風住宅

111006J01.jpg函館の主要な観光地を巡り歩くとき、目的地に向かう途中、または目的地からの移動中に、さり気なく当然という顔をして、そこに凛と存在している洋風住宅があります。

日和坂から八幡坂、大三坂、二十間坂にかけて点在する、旧地元有力者の個人住宅。それぞれにモダンな個性が光ると同時に、シックで落ち着きのある存在感を示していて、街歩きの目を楽しませてくれます。

函館らしさを感じさせる歴史的建造物ご紹介するシリーズ第2回は、元町の個性的デザインの洋風住宅を取り上げます。のんびり散策しながら、建物ウォッチングを楽しんでみませんか。


◆アメリカ風の下見板張りに対して、ヨーロッパ風のモルタル造り

111011J02.jpg函館の洋風住宅は、開港によって外国から入って来た文化に触発されてできたものと見るのが一般的でありますが、今回紹介する建物は、明治末期から大正・昭和初期までのものです。

この時期の函館は、開港による文化の移入が行われているというより、既にそれが函館の文化となって定着し、花開き、絶頂期を迎えていた時代でありました。また、経済的にも日本の重要な都市のひとつとなっていた函館には、本州からの優れたアーティストが盛んに訪れた時代でもあります。


111011J04.jpg函館の有名な洋風建築物の特徴として、「下見板張り建築」というものがあります。外壁が横長の板張りで、上の板が下の板にのっている、アメリカの住宅などによく見られる建物です。

これは、洋風建築物や和洋折衷住宅によく見ることができますし、明治時代からの函館の建築物の主流となっていました(右の写真は、元町のハリストス正教会近くにある遺愛幼稚園の園舎)。

ところが、大正10年の大火によって、より耐火性の高い建物を望む声が多くなると、社屋等は鉄筋コンクリート造り、一般住宅にはモルタル造りが設計されるように。その中でもモルタル造りの洋風住宅は、ヨーロッパのテイストを感じさせる、落ち着きのある存在感を強く与える傑作が多数生み出されました。


◆元町に建つ、函館を代表する地元有力者の邸宅

111011J01.jpg今回ご紹介するのは、その中から特に個性的なものを選びました。奇しくも、全て元町の建築物となりましたが、当時、富と文化が集中していた地域が元町であったことを考えると、当然といえるかもしれません。

これらの所有者も、函館を代表する人物ばかりでした。函館貯蓄銀行の支配人であり、長男が著名な文学者となった旧亀井邸、日魯漁業株式会社設立に大きな役割を果たした旧小熊邸(建築当初は佐田氏の所有)、遠洋漁業に不可欠な漁網の製造で、函館市内でも屈指の優良企業を創った旧岡本邸、北洋漁業で財を成し、胃袋の宣教師と呼ばれたカール・レイモン氏の邸宅(新築当時はロシア人商人が所有)など、繁栄の中、潤沢な資金で建築された邸宅には、意匠や空間に他の追従を許さない完成された独自性を見つけることができます。


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no01.jpg旧亀井邸
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no02.jpg旧佐田邸
(プレイリーハウス)
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no03.jpg旧岡本邸
(はこだて工芸舎)
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no04.jpg旧カール・レイモン居宅
 


111011J03.jpgこれらの建築物は、函館の経済的絶頂期の文化の産物のひとつであります。明治時代より数多く建築された和洋折衷住宅も、大正時代には様式が変わり、本州から訪れた優秀な建築士によって、海外の建築様式を取り入れた個性的な洋風住宅が盛んに建築されました。

それぞれが持つ、華麗であり、かつ質実剛健でもある、絶妙な融合性を感じ取ることができたなら、ディープな函館の一端を掴めたといっても過言ではないでしょう。元町に住んでいた亀井勝一郎が「世界中の宗教が私の家を中心に集まっていた」と語ったように、函館には世界各国の建築様式を取り入れたものを見ることができます。それも、元町地区というワンダーランドを彩る一部なのです。

※記者J 2011/10/12公開
 マップ提供/函館西部地区バル街実行委員会


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