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とくべつしせき ごりょうかくあと
星形城郭で国の特別史跡に指定されている。戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となった。春は桜の名所、冬は堀がライトアップされる。2010年箱館奉行所が復元オープン。
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徳川幕府の命を受けた蘭学者武田斐三郎が設計を手掛け、1864(元治元)年に完成した、国内初の西洋式城郭が五稜郭です。当初は幕府直轄の役所として、後に、海軍副総裁榎本武揚率いる旧幕府軍と新政府軍が激しい戦闘を繰り広げた箱館戦争の舞台として知られています。五稜郭公園として一般開放されるようになった1914(大正3)年以降は、春に約1600本のソメイヨシノなどが咲き誇る道南有数のサクラの名所、また、人気の高い観光地、地元市民にとっての憩いの場として、その役割を様変わりさせています。1952(昭和27)年に国の特別史跡に指定されました。
星形の城郭は、防御側の死角が少ないなどの利点があり、中世ヨーロッパを中心に普及していました。幕府は開港に伴う防備強化を図るため、五稜郭築造に着手。しかし、建設途中で財政難に陥り、一部の計画変更を余儀なくされました。人馬が出てくるのが直接見えないようにするための変形した菱形状をした土塁「半月堡(はんげつほ)」(または馬出塁)は、5つを設ける予定でしたが、一の橋を渡った右手にある1カ所になったほか、備前御影石を用いるとした石垣は、大部分が函館山から切り出した安山岩で、裏門側には亀田川で集めた石を使用しています。およそ7年を費やして出来上がった五稜郭に、函館山の麓(現元町公園)にあった奉行所が移転しました。
1867(慶応3)年の大政奉還により、明治新政府が奉行所の業務を引き継ぎ、名称は箱館裁判所・箱館府に。しかし、江戸開城に納得しない榎本らは、蝦夷共和国の樹立を目指して北海道に上陸し、五稜郭の占拠を成し遂げるも、新政府軍の反撃に屈し、1869(明治2)年5月に五稜郭を明け渡しました。
箱館戦争後、大半の建物が解体されたものの、白壁の土蔵「兵糧庫」は難を逃れ、現在は毎年8月の1ヶ月間だけ一般公開されています。また、箱館奉行所は、2010(平成22)年6月に部分復元され、内部が公開されています。
※hakobura 2009/4/1公開 2022/12 更新
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電話番号 |
0138-21-3456 ※カーナビ検索には使えません |
開園時間 |
郭内入場は5:00~19:00(4~10月)、5:00~18:00(11~3月) |
アクセス
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市電 「五稜郭公園前」電停 下車 徒歩15分 ※JR五稜郭駅からは公共交通の便が悪いため、JR函館駅から市電・バスのご利用をおすすめします |
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