スポット・体験
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元町・函館山
東海山地蔵堂
地蔵堂(通称東海山啄木寺)では、毎年、啄木の命日である4月13日に、啄木忌が行われています。
史跡・碑(市内)銅像・記念物 -
元町・函館山
石川啄木歌碑(青柳町)
石川啄木が暮らした青柳町の旧居跡近くに建てられた歌碑
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
咬菜園跡
西部地区・弥生坂上にある。箱館戦争時、旧幕府軍総裁の榎本武揚は、幹部6人と共に、今宵最後と一夜の清遊をここで試みたといわれている。現在は私有地となっている。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
高田屋屋敷跡
宝来町の電停方面に歩いて、電車通りを越えた緑地帯に高田屋屋敷跡の碑があります。嘉兵衛の跡を継いだ弟・金兵衛が、幕府の許可を得て5万坪を借用し、その一角に豪壮な邸宅を建てたのがこの辺りです。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
日露友好の碑
高田屋嘉兵衛銅像像の近くには「日露友好の碑」が設置されており、日露双方から感謝される民間外交に貢献した様子が刻まれています。
史跡・碑(市内) -
ベイエリア
高田屋嘉兵衛一族の墓・顕彰碑
高田屋嘉兵衛は浄土宗・称名寺を檀那寺としました。境内には、高田屋嘉兵衛一族の墓とともに、高田屋嘉兵衛顕彰碑があり、淡路から渡来して50歳までの間、「箱館を根拠地として北海の天地に活躍した」と記されています。
史跡・碑(市内)銅像・記念物 -
元町・函館山
函館護国神社(亀石)
箱館戦争で殉難した政府軍兵士を祀る招魂社として創建され、のちに函館護國神社と改称。箱館戦争から太平洋戦争に至る北海道南部の戦没者を祀っている。 広大な境内には、高田屋嘉兵衛の慈善事業の象徴である「亀石」を二つに分断して造った「招魂場碑」があります。この巨石は、飢饉の際の住民救済のため、給金を支払って海中から引き揚げさせ、屋敷の庭石にしたものです。
史跡・碑(市内) -
戸井、恵山、椴法華、南茅部
北海道建網大謀網漁業発祥之地碑
大謀網とは、定位置に仕掛けた網で回遊魚を漁獲する「大型定置網漁法」。函館市東北部の南茅部地区では、1839(天保10)年から北海道で最初にこの漁法を開始したという。
史跡・碑(市内) -
戸井、恵山、椴法華、南茅部
箱館戦争川汲戦戦死者慰霊碑
箱館戦争の際、旧幕府脱走軍は上陸地の森(現森町)から2隊にわかれて進軍を開始。うち土方歳三率いる隊は、川汲峠で新政府軍と激戦。慰霊碑が川汲温泉ホテル駐車場の横に建つ。
史跡・碑(市内)