スポット・体験
-
五稜郭
特別史跡五稜郭跡
星形城郭で国の特別史跡に指定されている。戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となった。春は桜の名所、冬は堀がライトアップされる。2010年箱館奉行所が復元オープン。
史跡・碑(市内)街歩き -
函館駅前・大門
土方歳三最期の地碑
箱館戦争の末期、土方歳三が銃弾に倒れたとされる一本木関門跡に近い若松緑地公園に建つ。全国の土方ファンの手向ける花が絶えない。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
碧血碑
箱館戦争での旧幕府軍の戦没者(約800名)を供養するために、函館山のふもとに建立。碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」との中国故事による。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
石川啄木一族の墓
函館山南端の立待岬近く、石川啄木一族の8人が眠る墓。故人の遺志により、遺骨は病死した東京から函館に運ばれ、函館滞在中に愛していた大森浜を望む場所に葬られた。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
外国人墓地
1854(安政元)年のペリー来航時に亡くなった2人の水兵を葬ったことに始まる外国人墓地は、海に面した景勝ポイントにある。プロテスタント墓地、ロシア人墓地などがある。
景色(市内)史跡・碑(市内) -
ベイエリア
新撰組屯所跡地(旧称名寺)
弥生小学校や函館元町ホテル近辺にある土方歳三ゆかりの地。箱館戦争時にこのあたりにあった称名寺に、土方の市中取締就任に伴って箱館警備の任に就いた新撰組の屯所があった。
史跡・碑(市内)街歩き -
ベイエリア
弁天台場跡
箱館港の防衛拠点として1863(文久3)年に完成した不等辺六角形の砲台。箱館戦争時、旧幕府軍が陣取ったが、1869(明治2)年旧暦5月15日に降伏。後の港湾改良工事で解体。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
新選組最後の地碑
箱館戦争の折に旧幕府軍に所属した新選組が守備に当たり、最後を迎えた弁天台場跡の近くにある碑。市電「函館どつく前」電停そばの児童公園内に設置されている。
史跡・碑(市内) -
戸井、恵山、椴法華、南茅部
史跡大船遺跡
函館市中心部から約30kmの南茅部エリアで1984年に確認された、縄文時代中期の大規模な集落跡。国の史跡に指定。大型竪穴建物跡は深さ2m、直径10mを超える。4~10月は定時解説あり。
史跡・碑(市内) -
ベイエリア
赤い靴の少女像
童謡「赤い靴」のモデルとされる少女「きみちゃん」の像。2009年、母と別れた地といわれる函館に設置された。像の作者は函館出身の彫刻家・小寺真知子さん。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
石川啄木歌碑
明治40年に函館に渡航し、家族を呼び寄せて落ち着いた青柳町の旧居跡にも近い函館公園内に建つ歌碑。有名な「函館の青柳町こそかなしけれ」の歌が刻まれている。
史跡・碑(市内) -
美原・桔梗
史跡四稜郭
1869(明治2)年の箱館戦争に際して旧幕府軍が五稜郭の北東約3キロの高台に築いた西洋式の土塁。蝶が羽を広げたような形状。国指定の史跡。
史跡・碑(市内) -
五稜郭
中島三郎助父子最後之地
箱館戦争時、五稜郭の前線基地であった「千代ヶ岡陣屋」で戦死した中島三郎助とその息子らを慰霊した石碑。毎年5月の箱館五稜郭祭では碑前祭が行われる。
史跡・碑(市内) -
五稜郭
石川啄木座像(啄木小公園)
漂泊の詩人石川啄木の座像が、啄木の愛した砂山跡の大森浜に建つ。周囲は小公園として整備、隣接地には土方・啄木浪漫館も。
史跡・碑(市内) -
戸井、恵山、椴法華、南茅部
史跡垣ノ島遺跡
函館市中心部から約30kmの南茅部エリアにある、縄文早期前半から後期後半にかけての遺跡。竪穴建物跡や盛り土遺構などからなり、2021年7月28日に一般公開開始。
史跡・碑(市内)ガイド・観光案内 -
ベイエリア
明治天皇御上陸記念碑
1876(明治9)年7月の明治天皇の函館上陸を記念し、1935(昭和10)年に建てられた碑。通算3度足跡が残されたことから、三蹤碑(さんしょうひ)という別名もある。
史跡・碑(市内) -
湯の川
史跡志苔館跡
14世紀ごろ、蝦夷地に渡来した和人が築いた12の館(たて)の中で最も東にあった「志苔館」。1968年には付近から多量の古銭の入った甕が出土。函館空港に近い。国指定の史跡。
史跡・碑(市内) -
ベイエリア
市電操車塔
かつて市電のポイントを切り替えるために使用されていた、十字街電停のほど近くにあるキノコ型の塔。路面電車用の操車塔としては国内最古とされる。
史跡・碑(市内)街歩き -
ベイエリア
北海道第一歩の地碑
明治以降北海道の玄関口となった函館の上陸地が東浜桟橋(旧桟橋)。ここに開道100年を記念して1968(昭和43)年に建立された記念碑。ヒグマと船のいかりがモチーフ。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
石川啄木居住地跡
1907(明治40)年、石川啄木は津軽海峡を越えて函館に降り立つ。青柳町に居を構え、家族を呼び寄せたのがこの付近である。その後、大火に遭遇して札幌に移住。
史跡・碑(市内) -
ベイエリア
新島襄海外渡航の地碑
後に同志社大学を創設する新島 襄が、国禁を犯してアメリカへ密航を企てたのが1864(元治元)年、その岸壁に記念碑が建てられている。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
咬菜園跡
西部地区・弥生坂上にある。箱館戦争時、旧幕府軍総裁の榎本武揚は、幹部6人と共に、今宵最後と一夜の清遊をここで試みたといわれている。現在は私有地となっている。
史跡・碑(市内) -
美原・桔梗
権現台場跡(旧函館東照宮)
箱館戦争時の1869(明治2)年、旧幕府軍が本拠地の五稜郭と背後の備えに急造した四稜郭との間の、函館東照宮に砲台を設けた場所。当時の大鳥居や土塁が現存する。
史跡・碑(市内) -
元町・函館山
傷心惨目の碑
箱館戦争当時、旧幕府軍の野戦病院が設けられていた高龍寺に新政府軍が乱入し、傷病兵らを斬殺する事件が起きた。旧会津藩有志が建立した供養碑が現在の境内にある。
史跡・碑(市内)