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タモリさんが訪ねた、こだわりの函館【3】
函館の坂と大火の歴史をたどる

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タレントのタモリさんがブラブラ街歩きをして、街の魅力を探るNHKの人気番組「ブラタモリ」。2015年5月から6月にかけての放送に合わせて、函館市内の多くの施設や市電車両にポスターやパネルが掲示され、多くの人が注目しました。
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6月13日(土)の放送では、「函館の夜景はなぜ美しい?」というテーマのもと、さまざまな角度から街の魅力を探索。函館の街並みの特徴である、まっすぐにのびた美しい坂がクローズアップされました。番組放送後、はこぶら記者も現地を訪ね、函館の坂の魅力を改めて実感。坂を巡る街歩きにご案内しましょう。


◆港から函館山に向かって、まっすぐにのびる坂

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番組でタモリさんは、ベイエリアの旧桟橋(東浜桟橋)から街歩きを始めました。ここはかつて北海道の玄関口だったところで、沖に停泊した連絡船から艀(はしけ)が通って、上陸に用いられました。

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旧桟橋を背にすると、正面に見えるのが夜景観賞スポットとして有名な函館山。山頂に向かって、坂道がまっすぐに伸びているのがわかります。これは日和坂(ひよりざか)。函館山の山麓には長短さまざまな坂が約20本ありますが、そのほとんどがまっすぐに通っているのです。

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函館の坂の特徴を、番組にも出演してタモリさんを案内した函館高専の奥平准教授に聞いてみました。「函館にはかつては細く入り組んだ坂道が多く、人家が密集していました。ところが何度も大火に見舞われ、その後の都市計画の一環で、坂道をまっすぐに整備していったのです。旧桟橋から見える日和坂も昔は曲がっていましたが、大火の後に整備されてまっすぐになりました」。

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古地図で確かめてみると、大火前の1874(明治7)年発行の「函館市街之図」では、細く短い坂道がいくつも描かれており、日和坂はカギ型の坂道でした。

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ところが明治時代の大火の後の地図では、太くまっすぐな坂道になっています。1911(明治44)年発行の「函館市街全図」では、すでに現在とほとんど同じ街路が確認できます。
(どちらも函館市中央図書館所蔵)


◆明治時代の建物、旧相馬邸に函館大火の跡を見る

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それでは、タモリさんと同じく、旧桟橋から日和坂を歩いて上ってみましょう。日和坂は、坂の上から港の景色を一望でき、空模様をよく判断できるということから名づけられた坂です。

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坂を上がっていくと、右手に大きな邸宅が見えてきます。伝統的建造物の旧相馬邸です。

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函館を代表する豪商・相馬哲平の私邸として1908(明治41)年に建築されたもので、風格ある玄関から家の中に上がり、名匠の建築技術を駆使して造られた大広間や洋間を見学できます。

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2階に上がると、小部屋の奥に「大火資料室」なるものが。小さなくぐり戸から中に入ると、そこは屋根裏で、大正10年に起きた大火に遭遇して、焼け残ったと思われる跡が残っています。

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「屋根最上部の『棟木』やそれを支える『梁』、屋根板を支える『垂木』などに焦げ跡や炭化の跡があります。火が向う角の建物から飛び火したところを、奇跡的に消し止められたことが記録に残っているんです」、そう話してくれたのは館長の東出さん。

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「番組で紹介されたあと、地元のかただけでなく、遠方からも多くのかたが訪れてくれます。タモリさんの偉大さがわかったよ(笑)。今後も建物を維持していき、函館の歴史を伝えるシンボルとして継承していきたいですね」。屋根裏の見学は、安全確保と現場の保存のため、電話での事前申し込みが必要です(旧相馬邸0138-26-1560)。


◆函館の19の坂のうち、街区整理で広がった代表的な坂を歩く

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(参考資料/はこだて検定公式テキストブック)
函館市内の坂は、まっすぐになったとともに、道幅を広げられ、それが防火線の役割もになっています。ここからは、歩道を含んだ道幅が20メートル以上ある代表的な幅広の坂道を上り下りしながら、街歩きしてみましょう。

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旧相馬邸のすぐ近くにある基坂は、明治時代に距離(里数)を測る基点となる「里程元標」が立ったことから、名前がつけられました。坂の幅は、後で出てくる二十間坂と同じ二十間(約36メートル)。坂上から見おろすと、正面には港と対岸の山が見えます。

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坂上にある旧函館区公会堂は、1907(明治40)年の大火で焼失した住民の集会所であった町会所(まちかいしょ)を再建したもので、前出の相馬哲平氏や住民からの寄付などを元に、1910(明治43)年に完成しました。

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基坂の近辺は、元町公園旧イギリス領事館(開港記念館)北方民族資料館など、見どころも豊富。坂を下りたところで振り返って見ると、突き当たりの元町公園の上に旧函館区公会堂と函館山の山頂が望めて、ビューポイントになっています。

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基坂を下りたら、電車通りを右折して八幡坂方面へ。途中には市立函館博物館郷土資料館があります。明治13年に建てられた「旧金森洋物店」を改修し、資料館として公開されているもの。和洋折衷の防火煉瓦造りで、1907(明治40)年に起きた大火では、周囲の建物が焼失するなか、幸いにも難を逃れた貴重な建物です。

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基坂から日和坂をすぎて次の坂は、番組でも紹介された八幡坂。河野政通の館跡地(現在の元町公園付近)から移設された函館八幡宮があったことに由来すると伝えられています。八幡宮は大火の被害を受けて、1880(明治13)年に現在の谷地頭町に移ったものの、その後も坂の名称は残されています。

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八幡坂は、やはり上から見下ろす風景が見もの。港の正面に、青函連絡船記念館摩周丸の姿が望めます。タモリさんも、番組でいい眺めに感動していたようです。ちなみに、この坂の幅は基坂より若干狭く、約22メートルとなっています。

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八幡坂の上から東へ、教会の間を通っていくと見えてくる幅の広い立派な坂は二十間坂です。長さの単位である1間(けん)は1.81メートルで、その道幅が20間分に相当するというのが語源。1879(明治12)年の大火後、整備された幅約36メートルの坂道です。

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沿道にある東本願寺函館別院は、日本で初めてコンクリートで建築された寺院。1907(明治40)年の大火で延焼したのをきっかけに、1915(大正4)年に防火仕様に建て替えられました。

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二十間坂を下から眺めると、防火線としての坂の存在が実感できますね。このように、函館の街は度重なる大火に見舞われたことにより、街区整備や耐火建築が計画的に導入されていったのです。


◆さらに防火体制を強化する、グリーンベルトと消火栓

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函館の歴史を語る上で忘れてはいけないのが、1934(昭和9)年に発生した大火です。強風にあおられて延焼が拡大し、当時の函館市内の3分の1を焼失しました。この大火後、防火目的のためのさらなる道路拡張が復興計画に盛り込まれ、防火帯としての広路と緑樹帯(グリーンベルト)の導入が図られるなど、現在の街の姿が作られていきました。緑の豊かな季節に函館山山頂展望台から眺めると、縦横に走るグリーンベルトの盛り上がりを確認することができます。

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函館山の麓にある護国神社から下る坂道は、護国神社坂。幅は、歩道を含めて約36メートルです。

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坂の下方の中央には高田屋嘉兵衛銅像が建てられている緑樹帯もあります。

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さらに先に進むと、グリーンベルトは本願寺函館別院(西本願寺)まで続きます。こういった緑樹帯は、函館山、公園、海岸に向かって市内各所に作られ、広路の交点には官公庁が、また起終点には、鉄筋コンクリート造りの学校や寺院などが置かれて、延焼を食い止める役割を担ってきました。

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また、街なかにある黄色い消火栓も、昭和9年の函館大火の教訓から、外国の消火栓を参考に函館市が設計したもの。取水能力が大きく、三方から大量放水できるようになっています。街歩きの途中に、こちらもちょっと気にして見てください。


番組を見て、函館の街の歴史を改めて学ぶとともに、意外に知られていない大火にまつわる事実も知ることができて、驚きの連続でした。函館を訪れた際には、街の歴史や文化にふれながら、ゆっくりぶらぶらと街歩きを楽しむのもいいものですよ。

※記者TT 2015/7/7~7/14取材、7/21公開