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エトロフ航路の開発や北方漁場の経営、江戸幕府の代理人としてロシアとの交渉に当たったことでも知られる、江戸時代の豪商「高田屋嘉兵衛」の銅像。護国神社坂に建つ。
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高田屋嘉兵衛は、1801(享和元)年に国後航路の発見・択捉島開拓の功により幕府から「蝦夷地常雇船頭」を任じられ、苗字帯刀を許された箱館の豪商。函館の発展に寄与したことでも知られています。
1812(文化9)年の「ゴロヴニン事件」の際には、江戸幕府がロシア船ディアナ号の艦長ゴロヴニンを幽囚した報復として国後島で捕えられ、一旦はカムチャツカ半島へ連行された後帰国、松前奉行を説き伏せて艦長の釈放に尽力したことが知られています。
1956(昭和31)年には嘉兵衛が没してから130年の節目の年ということで、銅像建立の機運が盛り上がり、1958(昭和33)年、函館開港100年を記念して実現。函館出身の彫刻家であり挿絵画家でもあった梁川剛一氏に製作を依頼し、かつて嘉兵衛の屋敷があった(現在の銀座通りグリーンベルトの一角)宝来町、護国神社坂に建立されました。
白御影石の台座の上に立つ銅像は、ゴロヴニン事件で幕府の代理人としてロシア軍艦「ジャーナ」へ乗り込んだ際の、正装の仙台平の袴、白足袋、麻裏草履を履き、帯刀した姿。右手には松前奉行からの論書(さとしがき)、左手には艦内で正装に着替えた際に脱いだ衣類を持っている姿が、的確に再現されています。
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※記者X 2012/8/22取材、8/24公開 2021/7 更新
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