特別史跡五稜郭跡(五稜郭公園)

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国の特別史跡に指定されている星形城郭「五稜郭」。戊辰戦争最後の戦いである「箱館戦争」の舞台となったことで知られています。現在は一般的に「五稜郭公園」として親しまれ、春は道南有数の桜の名所として、冬は凍った堀がイルミネーションで彩られるなど、四季折々の美しい景色が楽しめる人気の観光地であり、市民の憩いの場となっています。

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築造の背景と構造の特徴 徳川幕府は、開港に伴う防備強化を図るため、五稜郭築造に着手しました。幕府の命を受けた蘭学者・武田斐三郎が、防御側の死角が少ないなどの利点があり、中世ヨーロッパを中心に普及していた星形の城郭をモデルとして設計、しかし、建設途中で財政難に陥り、一部計画の変更を余儀なくされました。

人馬の出入りを直接見えないようにする変形菱形状の土塁「半月堡(はんげつほ)」(馬土塁)は、当初5か所設ける予定でしたが、一の橋を渡った右手の1か所のみとなったほか、石垣も備前御影石を用いる予定が、大部分が函館山から切り出した安山岩に変更され、裏門側には亀田川で集めた石が使用されています。およそ7年の歳月を費やして1864(元治元)年に五稜郭は完成し、函館山の麓(現・元町公園)にあった幕府直轄の役所(箱館奉行所)が移転しました。

箱館戦争の舞台として 1867(慶応3)年の大政奉還により、明治新政府が奉行所の業務を引き継ぎ、名称は箱館裁判所・箱館府となりました。しかし、江戸開城に納得しない海軍副総裁・榎本武揚や土方歳三らが率いる旧幕府軍が、蝦夷共和国の樹立を目指して北海道に上陸。五稜郭を占拠し、旧幕府軍にとって最後の砦となりました。激しい戦闘が繰り広げられましたが、新政府軍の反撃に屈し、1869(明治2)年5月に五稜郭は明け渡されました。

四季折々の魅力と見どころ 1914(大正3)年に公園として一般開放され、1952(昭和27)年には国の特別史跡に指定されました。 公園最大の魅力は桜です。一般開放された年に、当時の函館毎日新聞社が発刊1万号を記念して10年がかりで約1万本のサクラを寄贈・植樹しました。現在では約1500本が花を咲かせており、大型連休前後にはお花見に集う市民で賑わいます。特に、一の橋を渡り切った右手の土手にあるサクラは見栄えが良く、散り際にお堀の水面を花びらが覆い尽くす「花筏(はないかだ)」もひと味違った趣があります。なお、函館のサクラの開花状況を観測する標本木(ソメイヨシノ)は裏門の橋付近にあります。

サクラ以外にもフジ、ツツジ、スイレンなどの花が見事で、夏は緑、秋は赤や黄色の紅葉、冬は凍った堀に雪が積もる幽玄な白の世界へと彩りを変えます。外周は一周約1800メートルの遊歩道になっており、ジョギングやウォーキングを楽しむ市民の姿も多く見られます。

歴史を今に伝える復元施設 箱館戦争後、郭内の大半の建物は解体されましたが、白壁の土蔵「兵糧庫」は難を逃れ、現在は毎年8月の1ヶ月間のみ一般公開されています。また、2010(平成22)年には江戸幕府の役所であった「箱館奉行所」が部分復元され、内部の見学が可能となっていますまた、サクラの寄贈・植樹の功績を称える碑も、奉行所裏手に設置されています

 

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  • 深夜・早朝でも入れる施設
  • 車イス対応トイレ
  • オムツ替えスペース
  • 英語看板

詳細情報

住所 函館市五稜郭町44
アクセス情報

市電 「五稜郭公園前」電停 下車 徒歩15分 ※JR五稜郭駅からは公共交通の便が悪いため、JR函館駅から市電・バスのご利用をおすすめします

問合せ先 五稜郭公園管理事務所
電話番号 0138-31-5505
利用時間

郭内入場 5:00~19:00(4月~10月) 5:00~18:00(11月~3月)

利用料金

公園内無料、奉行所は要入館料

駐車場

なし(付近の有料駐車場か、なるべく公共交通機関をご利用ください)

関連リンク 特別史跡 五稜郭跡(函館市)
箱館奉行所

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