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石川啄木一族の墓

いしかわたくぼくいちぞくのはか


函館山南端の立待岬近く、石川啄木一族の8人が眠る墓。故人の遺志により、遺骨は病死した東京から函館に運ばれ、函館滞在中に愛していた大森浜を望むに場所に葬られた。

「死ぬ時は函館で死ぬ」。石川啄木は、義弟の宮崎郁雨へ宛てた手紙の一節にこう書き残しています。26歳だった1912(明治45)年に、東京で病死した啄木。彼を慕う郁雨と、市立函館図書館の初代館長・岡田健蔵は、函館を啄木の永眠の地にすることで悲願を叶えます。

函館山の南端にある立待岬へ向かう坂の途中に、石川啄木一族の墓として建立。墓面に「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」の一首が刻まれているように、この短歌の舞台とされる大森浜を一望できる高台に選んだのは、啄木を尊敬する2人による精一杯のはからいだったに違いありません。
 
啄木の死を受け、岡田健蔵は啄木の妻・節子の名代と称して上京。啄木、その長男・真一、母・カツの遺骨を、預けていた寺院から引き取ります。函館に戻った後、函館図書館に3人の仏を仮安置するうち、間もなく節子が死去。節子の四十九日にあたる日に、現在地よりやや下方の場所に木製の墓標を建て、4人分の遺骨を埋葬します。1926(大正15)年に現在地に墓碑が建て替えられて以降、1931(昭和6)年に啄木の長女・京子の夫・石川正雄によって、京子、次女の房江、啄木の父・一禎、そして1968(昭和43)には正雄の遺骨が追葬され、一族8人が眠る墓となっています。

北に正面を向ける墓石は、将棋の駒を思わせる個性的な形。樺太の北緯50度線に設けられていた日露境界標石を模したのだそう。ロシアに強い関心を抱いていた啄木の心情を象徴するものかもしれません。
 
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※hakobura 2010/11/13公開 2017/8 更新


石川啄木一族の墓
エリア 元町・函館山エリア
所在地 函館市住吉町16
問合せ先 函館市元町観光案内所
電話番号 0138-27-3333  ※カーナビ検索には使えません
開園時間 見学自由
アクセス 市電 「谷地頭」電停 下車 徒歩13分
駐車場 有(立待岬駐車場。ただし、11月~4月は冬季閉鎖)
GoogleMapで大きなマップを開く
眺望がいい、歴史好きに、無料駐車場、英語看板


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