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いしかわたくぼくきょじゅうちあと
1907(明治40)年、石川啄木は津軽海峡を越えて函館に降り立つ。青柳町に居を構え、家族を呼び寄せたのがこの付近である。その後、大火に遭遇して札幌に移住。
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1907(明治40)年5月5日、石川啄木が津軽海峡を越えて函館への第一歩をしるしました。啄木の目に、函館は外国船の行き交う活気のある港町と映り、また函館山の姿に大変惹かれたそうです。函館に来るきっかけとなった、文学に夢中な同志のもとで仮住まいした後、離れ離れになっていた家族を呼び寄せ、住まいを定めたのが函館山のふもとにある青柳町でした。
山麓を横断する公園通(通称・啄木通り)に面し、啄木が付近に居住していたことを説明する案内看板が建ちます。実際の場所は、奥へと続く狭い路地を突き当たって左折した一角。軒を並べる民家には、当時の趣きを彷彿とさせるような生活感が漂っています。
啄木が住んだのは6畳2間の長屋。窓は東向きで、家具や家財は同志が持ち寄ってくれたそうです。父の失職で困窮した生活を立て直すめどが立つと、盛岡に残してきた妻の節子と長女の京子に続き、青森県野辺地から母のカツ、小樽から妹の光子を迎え、啄木は函館での新生活をスタートさせます。家族水入らずの暮らしも束の間、8月25日に大火が発生。新居は難を逃れたものの、勤め先や書きためた原稿を焼失し、一家は再び苦境に。啄木が北の大地を踏みしめて132日、函館での生活に別れを告げ、札幌へと旅立つことになりました。
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※hakobura 2010/11/13公開 2021/7 更新
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