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函館の街並みの「華」 、和洋折衷住宅の魅力
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ベイエリアに残る和洋折衷住宅の街並み

「最も函館らしい建物は?」と聞かれれば、「上下和洋折衷住宅」を挙げるかたも多いと思います。1階が和風、2階が洋風に設計された木造二階建ての店舗・住宅が「上下和洋折衷(擬洋風)」様式。江戸時代末期の開港とともに栄えた西部地区(函館山のふもと)には、函館独特の和洋折衷住宅が数多く見られます。伝統的な和風建築や、旧函館区公会堂・ハリストス正教会などの洋風建築ともとけこみ、特色ある街並みを形成しています。その誕生の背景や、独特の魅力について、解説しましょう。


開港後の函館では、大工たちが洋風建築技術を習得

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元町に建つさまざまな宗派の教会群

江戸末期、日本を代表する貿易港としていち早く世界に門戸を開いた函館。アメリカ、ロシア、イギリスなどの領事館が相次いで開設され、外国人が住み始めます。横浜や長崎と同様、最初は外国人居留地を設置しますが、函館は土地が狭かったため、実際は市街地に雑居状態。現在も元町で隣り合わせに建つ教会と寺院が、それを象徴しています。

外国人と一緒に住むことになった函館住民は、彼らと直接触れ合う中から、西洋の最先端の技術を多く吸収することができました。函館の大工たちは、外国人の指導のもとで、まったく経験のない教会や領事館などの洋風建築に取り組みます。その後、宣教師や外国人商人の洋風住宅建築も依頼され、並々ならぬ苦労を重ねながら技術を習得しました。


和洋折衷住宅は、外国への対等意識の表れ

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旧古稀庵(末広町13-2) 明治42年建築

ところが、開港したとはいえ函館の輸出入額はわずかなもので、外国商人はより大きなマーケットを求めて横浜や神戸を目指し、函館を去り始めます。せっかく苦労して洋風建築技術を習得した函館の大工たちには、洋館を建てる機会が減少する一大事。そこで、当時財力があった海産商を中心に、店舗・住宅の建築に洋風の様式を取り入れることを強力に勧誘します。当時の函館商人は、諸外国と不利な商取引を強いられていました。長年の悲願である対等の取引を行うためにも、馴染んだ和風の生活様式を守りつつ、洋風を意識した店舗・住宅で対等な立場を強烈に誇示する必要があると考えられたのでしょう。


ウラジオストックの街並みがモデル?!

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天然酵母パンtombolo(元町30-6) 大正10年建築

明治11年の函館大火後の街区改正で、お役所はロシア・ウラジオストックの街並みを模倣するように指導したそうです。坂の途中に建つ建物は、下から見ると2階部分のみが重なるように見えるので、そこが目立つように洋風で鮮やかなペンキ塗りにし、外国に負けない「近代化都市」であることを強く印象づけようとしたという説が、最近発表されました。日本の中でも外国との結びつきが特に強かった函館は、経済的にも精神的にも、外国に追いつけ追い越せが急務でありました。その一端が窺い知れます。

その後、明治20年代後半から昭和初めまで、商店に限らず庶民の町家にも、洋風を取り入れた「上下和洋折衷住宅」が広まっていきます。特に明治40年、当時の全戸数の約半分の1万2千戸もが焼失する大火が起きますが、大火後の復興は目覚しく、和洋折衷住宅が函館の街並みを形成していきました。


函館特有、上下和洋折衷住宅の特色

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上下和洋折衷住宅の典型的スタイル
「函館の歴史と風土(函館の歴史的風土を守る会発行)」より転載

和洋折衷とは、言うまでもなく、日本風と西洋風の様式を一緒に取り入れること。その中で函館の和洋折衷建物の特徴は、1階は下見板張り(ささら子下見板張も)の和風で格子戸を持ち、2階は下見板張りにアイボリー、ピンクや緑などのペンキ塗装、縦長の上げ下げ窓か両開き窓を持つ、「上下和洋折衷住宅」であることです。屋根の形態は日本古来のもので、主として和風瓦を使用、軒下に持送りと軒蛇腹を持ちます。さらに1階と2階との境には胴蛇腹があり、4隅の柱は柱型が出ているものが多く見られます。

建築主や大工たちは、持送りや軒・胴蛇腹、また窓の額縁の装飾で腕を競い合いました。ただ、当時の大工の洋風建築技術は決して高いものでなく、外観をいかに洋風に見せるかを主眼におき、建築構造的にはすべてが和風です。そのため、2階の洋風も実は外観のみで、内部は和風の畳敷き。函館の「いいふりこき(見栄っ張り)」を如実に示していると評されることもあります。

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屋根を支える「持送り」と、その下の「軒蛇腹」の装飾帯(旧茶屋亭)

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1階と2階の境の「胴蛇腹」。壁面は下見板張り(旧茶屋亭)

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1階の格子戸と窓格子、壁面はささら子下見板張り(和雑貨いろは)


ベイエリア近くの、タイムスリップしたような街並み

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ベイエリアの金森倉庫東側一帯は、明治から大正時代の興隆期に、函館繁栄の象徴である海産商の店舗が軒を連ねていた地域でした。当時の面影を多く残す「上下和洋折衷」の店舗・住宅が数軒残っており、雰囲気のある街並みを歩くと、まるでタイムスリップしたような感覚に。これらはレストランや雑貨店など、多種な店舗として利用されています。その中の代表的な3軒を紹介しましょう。


茶房旧茶屋亭

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茶房旧茶屋亭(末広町14-27) 明治末期建築

明治末期に建てられ、現在は喫茶店として利用されています。均等に置かれた上げ下げ式の窓とその周辺の装飾、イギリス式の下見板張り、西洋の古典建築に見られるアカンサス風の凝った装飾が施された軒下の持送り。1階の連なった窓にはステンドグラスがはめ込まれ、和風の中にも洋風を感じさせるなど、ほかにはないモダンな特色を持っています。

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和雑貨いろは

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和雑貨いろは(末広町14-2) 明治41年建築

和洋折衷は表の1面だけという住宅が多い中、4面ともある数少ない建物。雑貨店として利用されていて、際立った存在感があります。1階はささら子下見張り、開口部に格子戸、2階は下見板で縦長の上げ下げ窓。軒まわりに豪華な装飾をあえて施さず、三角形の破風に漆喰が塗られている質素さが特徴です。防火対策を考えて、建物左手に付けられた煉瓦製の防火壁「うだつ」も見事なものとなっています。

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【バルレストラン ラ・コンチャ(La Concha)】

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バルレストラン ラ・コンチャ(末広町14-6) 大正6年建築

大正時代に建てられた米穀店の店舗兼住宅をリノベーションして、スペイン料理店として利用されています。出入口は洋風のドアに改装されていますが、格子戸や窓格子の雰囲気はそのまま。2階の南京下見板張り、縦長の上げ下げ窓、軒下の持送りなどが、洋風料理店の雰囲気とマッチしています。

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函館を代表するハリストス正教会や旧函館区公会堂の設計家、そして和洋折衷の大工たちにしても、一度も海外渡航の経験がなく、もちろん洋風建築の現物を見たこともありませんでした。それでも、開港以来、洋風建築そして「和洋折衷様式」の町家等が数多く建てられたのが函館です。最先端の西洋文化を柔軟に受け入れた先人たち。その気質を色濃く残した街並みを、じっくり味わってみてください。

※文/中尾仁彦(箱館歴史散歩の会主宰)、まとめ・撮影/編集室M 
2011/4/18公開、2021/3/5更新